21世紀郷土かるた

彩の国21世紀郷土かるた

取り札-の 読み札-の 取り札-は 読み札-は
羽生市立井泉小
工藤勇斗
鳩ケ谷市立南小
村田貴一郎
さいたま市立宮原中
岸めぐみ
本庄市立本庄西小
境野美子
【秩父事件】
明治17年11月1日、秩父郡吉田町にある椋神社に、白はちまき、白たすきに竹槍などを手に持った約3千人の農民が集まりました。政府の政策により、生糸やまゆの値段が下がり、生活が苦しくなった農民を救うため田代栄助を総理に、国民党を組織した人たちが立ち上がったのでした。自由自治元年を唱えましたが、4日後には鎮められました。
【塙保己一】
塙保己一は、1746年、児玉郡保木野村(児玉町)に生まれました。少年の時に失明しましたが、やがて江戸へ出て、学問の道に進み努力の末に国学者となり「群書類従」(全666冊)を完成させました。その版木は、両面彫りで17,244枚(約3万3千ページ)にのぼり、約40年間をかけて彫られました。現在は温故学会に保存されています。


取り札-ひ 読み札-ひ 取り札-ふ 読み札-ふ
入間市立新久小
今井 駿
川越市立霞ヶ関小
森山妙子
鷲宮町立上内小
石井雅樹
菖蒲町立菖蒲南中
三須かおり
【吉見百穴】
吉見の百穴は比企郡吉見町の西にある古墳時代後期の横穴墓群です。市野川に面する標高50mの急斜面を利用して掘られていて220余の横穴は、遠くから見ると蜂の巣状に見えます。
穴の中には天然記念物のヒカリゴケが自生していて、光を受けると黄金色に輝きます。春には桜が満開になり、とてもきれいです。
【権現堂堤の桜】
桜の名所となっている権現堂堤は、もとは権現堂川(現在の五霞町と栗橋町・幸手市の境を流れていた川)の堤防でした。
ここを桜の名所にしようと大正9年頃から地元の人たちによって桜が植えられましたが、第2次世界大戦のときに燃料用に切られてしまいました。現在の桜は昭和24年から植えなおされたものです。


取り札-へ 読み札-へ 取り札-ほ 読み札-ほ
児玉町立共和小
小賀野裕樹
蕨市立塚越小
黒田雅史
日高市立高麗川小
英 太一
入間市立藤沢南小
関谷友里
【川口の鋳物】
川口では、昔から鋳物づくりが盛んでした。鋳物は溶解炉で溶かした鉄を、砂でつくった鋳型に流してつくられます。川口で鋳物業が発展したのは、荒川や芝川に近く、鋳物に適した砂と粘土に恵まれていたこと、原料や鍋・釜などの製品を舟を使って運ぶことができたからです。川口は鋳物工場が多かったことから、「キューポラの街」といわれました。
【埼玉スタジアム2002】
埼玉スタジアム2002は、平成13年にさいたま市中野田にできました。6万3千700人を収容できるアジア最大級のサッカー専用スタジアムです。平成14(2002)年にはワールドカップの日本代表戦や準決勝戦など4試合が行われました。2基の大型映像装置や太陽光発電設備などの最新の技術をふんだんに取り入れて建設されました。


取り札-ま 読み札-ま 取り札-み 読み札-み
鴻巣市立田間宮小
仙名眞基子
鳩ケ谷市立南小
軍司貴子
羽生市立新郷第一小
野本瑛之
さいたま市立三室中
藤原明日香
【県旗(まが玉)】
まが玉は、埼玉古墳など県内各地の古墳から出土しています。まが玉は、古代人の装飾品として、首かざりなどとして大切に使われてきました。
埼玉県の「県章」は、まが玉が16個円形にならべられたものです。これは、県民が団結し、円満に手を取り合って発展していくようにとの願いがこめられたものです。
【見沼田んぼ】
さいたま市には、見沼溜井と呼ばれる農業用水の池がありました。江戸時代の中ごろ(1727年)、幕府の役人・井沢弥惣兵衛は、見沼溜井の水をぬき、利根川から水を引いて見沼代用水をつくる工事を行いました。このようにしてできた広い水田を「見沼田んぼ」とよんでいます。現在は、水田や畑、公園などの緑豊かな土地になっています。

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